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イラストレーターまつながみかのafricanとつぶやきなブログ

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生活の話12 ギニアだけどニューヨーク! 

 

以前のトイレネタでご紹介したように、小便所はお風呂と兼用になっている。
トイレ風呂(勝手に命名)の形状や状態は様々で、お家と同じような藁葺き屋根だったり、その屋根なしだったり、トタンだったり、6畳一間位あったり、丸見えだったり、庭みたいだったり、私が知っているだけでもそれだけあるが、だいたいが広めの作りだ。
中は平均的にがらーんとしていて、ただのコンクリや、全体的に石が敷き詰められていたりするので、小タイムはちょっとどこでしたらいいか戸惑いがちだ。よくみるとネズミの穴みたいなものが壁に開いているので、わたしはその近辺で用をたしていた。これまたよくはねるので要注意である。
そんな様子で小トイレとしてはなかなか開放的で快適なのだが、これは同時に風呂と化す訳で、そこはちょっと事情が違う。

どう違うかとひと言でいえば、暑い国でへとへとになってさっぱりしたい時に、

しょんべん臭い

のである。そう、便所だから。当然と言えば当然だ。
ある時お祭りで出かけた村のお風呂は、周りに家も少なく、畑のようなものがあって、ヤギがいて、開放的な土地にある、屋根なし、足場もそこそこキレイな上物だった。扉はなかったが、その代わりに広げたアフリカの布と、それを押さえる石はムードをあげる。夜は満天の星が輝き、月と星の光だけで入浴タイムを過ごす。おそらく、これを写真なり映像なりでお伝えしたなら、「なんてロマンティックな入浴タイム」と思っていただけるであろう。
しかし・・・ものっすごくしょんべん臭い。
あっという間にテンションががっくり下がるのだ。こういう時、嗅覚って重要なんだと、出来れば気付きたくないけれど、気付く。

これまたお風呂といっても、基本バケツ一杯の水で、水が不足している時はそのバケツにですら、半分の量の水しかない。これで頭を洗い、顔を洗い、体を洗い、足の裏を洗う。男子はわからないが、女子は少々キツい。石けんをわーっと泡立ててしまうと流しきれないこともあるので、そこにある水でできるだけきれいにしようと毎回計画しながら使う。
そしてこの水だが、なるべくなら明るいところで見ない方がいい(私の場合)。井戸の普通にキレイな水を用意してもらった場合も多いが、色々浮いていたり、何の色だかわからない色がついていることもしばしある。以前水が真っ白だったので覗いていたら、使い終わった臼を洗った水だった。それは聞けば気にならない一例だ。わからないのが恐い。

日本に帰ってまっさきに欲したのがお風呂だったが、同時に、このお風呂のおかげで、水はこれだけ節約してもなんとかなるのだと毎日感じていた。ずっと日本で不自由なく暮らしていると、当然の基準がどんどんあがる。より便利に、より快適に、より清潔に。もっと、もっと・・・でも、そう、水が生活の中でどれだけ本当に必要なのかここへ来るとリセット、再認識できるのはありがたいチャンスである。

と、言った後に何ですが・・・村での滞在の三分の一位は水を存分に使って入浴していた!なぜなら・・・川があったから!

私のいた村にはニジェール川という大きな川が流れていて、みんなそこで魚を捕ったり、洗濯したりするのだが、大人も子供も、そこで水浴びをしている人も多くて、私も可能であればそこでお風呂を済ませていた。水の量を気にすることはないし、泳いだりはしゃいだりもできる!トイレ風呂より川へ行くでしょ!
なにより川から見る太陽や月や雲や雷は本当に美しくて、その美しさがあまりにも自然そのままで、その中で自分も解放されている。それはそれは贅沢極まりない時間だった。

と、そこで終わればなんともロマンチック。
でも、そう都合良くいかないのが自然!水には不思議なものがたくさん浮遊してるし、増水した川はこれまた臭くて、底を覗けばウシのウンコやらがあちこち沈んでいて・・・これってちょっとずつ流れてってんだよなーなんて。

アフリカの入浴で気持ちよく体を流すなら、都合の悪いことには気付かないのが一番なのだ!


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category: マツ村!

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たべたの話11 祭りのごはん 

 

村で私が常に行動を共にしたのはみなミュージシャンで、彼らはお祭りがあるとその村に呼ばれ、お祭りの間中、村の人達を踊らせたり楽しませたりするために太鼓を叩いたり、踊りを見せたりする。
それが仕事だ。
仕事といっても基本は村からギャラをもらうのではなく、演奏の最中に村人達がミュージシャンに投げるお金、いわゆる投げ銭が彼らのギャラのメインになる。だから盛り上がればそれだけいいお金が入る(はず)で、ミュージシャン達は頑張るのだ。
お金の他に、若い女の子やお金があまりない人は、たばこや例のバナナガム、のど飴を投げたりもする。それは本当に村によりけりだ。

ミュージシャンを呼んだ村は何を提供するかというと、ごはんである。

祭りに行くと、なんだかわからない位ごはんが振る舞われる。(村にもよるけれど)
朝、おかゆみたいなものを食べて、「今日はヘルシーだな」と思っていると、そばから「ごはんだよー」と呼ばれてごっつい油を使ったぶっかけごはんがでてきて、また別の味付けのごはんが更にでてきたりする。一日に7食や8食出る時もある。みんなよく食べるし、食べるものなのだ。

そうそう、アフリカではおそらく多くの人がイメージする通り、ひとつのでっかい皿にご飯を盛って、みんなで手で食べる。だいたいがごはんの上に、トマト味だったり、ピーナッツソースだったり、いくつかのバリエーションのソースをかけたものだ。村によっては、魚や、時折肉だったりが入っているが、メインは味がついた米を食べている感じで、具材は添え物程度だ。
だしてもらった大量のごはんから食べられそうなだけを皿に移して、みんなで食べる。皿に移したごはんは、残されることがない。必ず誰かがどんなにおなかがいっぱいでも無理して食べる、おそらくそういうものなのだ。
ごはん
食べられる分だけ取り分ける・・・いつも笑える位の米の量だ!


祭りでは何時も一緒にいる仲間達と大勢でごはんを食べていて、大勢で食べるとその食べ方とか、皿の中のテリトリー!だとか、これまた話は尽きない。

ヌラソバごはん
ヌラソバという村にて一緒にごはんを食べた仲間達。バビラ村の太鼓叩き達とトゥルーバン村のダンサー達


ところで、私もいつも手で食べていたかというと、答えは、あればスプーンを使っていた、だ。
その理由はいくつかあるのだけれど、そのひとつは、手の洗い方だ。アフリカでは水がとても貴重で、ご飯の前は小さなたらいがひとつだけ回ってきて、それでみんなが手を洗う。これが笑っちゃう位にみんなの手が汚い!1人目は水だが、2人目からは完全なる色水。毎度、洗ってるのか汚しているのかわからないとはこのことだと思う。
ご飯後手を洗う
右の人が手を洗っています。水の量は500mlくらい!これが全員に回ってくる

でもアフリカ人は手を水に通したイコール洗ったってことになっているようだ。みんな平気でたらいを回し続ける。バイキンとかというより、さっぱりしたみたいな感覚なんだろうか。
気にならなくなることはなかったけれど、ただでさえアフリカの水には気をつけろと言われているのに、もうここに来るとこんな毎日で、どんどん間口が広くなっていった。アフリカにいると、日本で”キレイキレイ”なんて使って手を洗ってたのが、夢だったんじゃないかと思う。
人間の体って案外強いよな、なんて遠くを見つめてつぶやいてもみたくなるものだ。


あ、スプーンの話は全部が笑い話みたいなので、これはまた次回・・・

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category: マツ村!

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03太鼓を習うのはなし 

 

コナクリにいるギニア人は教え方が上手だよなーと、村に行くとつくづく思う。
外国人に教え慣れている人とそうでない人の差は歴然としている。
もちろん全員ではないけれども、村人は教えることも、外国人もあまり慣れていない。
そりゃそうだ、祭りでばあちゃん達を踊らせたりするために叩いている人達だもの。
カウントは間違えるし、同じものの呼び方が毎回違っていたり、フレーズや順番が変わることもざら。ハテナマークが飛び出すこともしばしばだ。
でも、さっき教えたことと違うじゃない!といちいちイライラしてしまうようでは切りがない。外国人の習い方が彼らに難しいだけだ。
そういう意味では、習う側もある程度の引き出しや柔軟性がある方が学びやすい。

特に村の祭りではエショフモンの前にブレイクを入れるということが少ないようで、ある時、村人先生がエショフモンの前に全然ブレイクを入れられないことがあった。
プロット トット トット ト が、
プロット トット トット トット ト になり、
プロット トット トット トット トット トット ト になり・・・

めちゃ、帳尻合わせてる!!

そして、できな~い!ヒャヒャヒャと笑う。

その時は別のグラン先生がいたからなんとかまとまりはしたけれど、クラスとしてはグズグズだった。
おいおい、先生ちゃんとしてくれよ~とは思うものの。
んー、なんか憎めないんだな・・・てゆうか、村でやってないならそのままでいいんだけどね~。

ブレイク





category: マツ太!

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ギニア人の話10 チチとエロス 

 

村の女性は子供を産むとどこでも平気でチチを出し子供に与えている。
授乳させてるというより、しょっちゅう赤ちゃんはチチにぶら下がっている。
母は、人の髪を結っている時も、マンゴーの皮を剥いている時も、両手がふさがっていたとしても、かまわずくわえさせている。
おしゃぶりの原点!赤ちゃんが必死にぶら下がっている姿が愛らしくて笑ってしまうことさえある。
ある時はばあちゃんが赤ちゃんをあやしていて、
「ミカ、赤ん坊にチチをやれ。」と言った。「私はできないよ」と言うと、おもむろにチチを出し、ばあちゃんがチチをやっていた!やっていたというか、くわえさせていた。大丈夫なの!?
ホント、アフリカの子育ては見ていて楽しい。

その名残か、女性は赤ちゃんがいなくとも、暑いとTシャツを胸の上までたくし上げるのもどーってことなくて、村では普通にチチが見られる。

最近の若い子は外国人や都会の影響で中国製のブラジャーをマーケットで買ってきて付けている姿もみられるが、基本はノーブラ、チチはオープンスペースなのだ。

前回のアフリカ日記 エロテロリスト

そんな訳で、日本では、チチ派と尻派があるとかないとか、とにかくチチはエロの領域に入っているけれども、村では(アフリカ人とくくってもよさそうだが)男性はチチにあまり興味がない。

興味がない、とは思ってはいたものの、確認はしていなかったので、一応確認してみた。
ら、やっぱりそうだった。
チチはいつも見てるから、見てもどーも思わないんだって。

「じゃあ、どこにエロスを感じるのか!」
と聞いたら、太もも!と即答していた。「いつもスカートで隠れて見えないから見えるといろいろ想像しちゃうの!」らしい。まぁ、個人差あるんだろうけどね。
あぁ・・・私ギニア行って、こんなくだらない話ばかりしてたのか・・・

とにかく、見えない部分を見てみたいという欲求はどこも一緒なのだ!チラリズムは不滅です!

その後、私も散歩に行く時、どうせみんなチチは気にしないだろうと思ってノーブラでうすーい生地のシャツを来てでかけたら家の女の子に「ミカのチチだー、いってらっしゃーい」と言われた。
友人に「なんで?」と聞くと、「だって、アフリカ人のチチは見慣れているけれども、ガイジンのチチはみんな見たことがないから見てみたいと思うんだよ。」だって。

ふーん。

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category: マツ村!

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たべものの話09 無駄がない! 

 

こちらでいつも感じていたこと。
自然と共に生きる知恵だ。

私が滞在した4,5月は大量のネデという木の実が収穫されていた。

ネデの木
もう収穫後の、ネデの木。


ネデをはこぶ
ネデの実を運ぶ女性達。

イメージとしては大きなさやいんげんみたいなのだけど、皮は固く、皮を剥くと中から黄色いラムネ棒みたいな粉の固まりがでてくる。

ネデ
ネデの皮をひとつひとつ手で剥く。

この黄色い実はそのまま食べると甘く、当然ちょっと粉っぽい。甘いもの好きなアフリカ人はこのネデが大好きで、女性が運ぶ途中に落としたネデを拾って食べたり、どっからともなくもらってきて食べたり(食べるというよりはなめて溶かす感じ)している。
出した黄色い実は粉状にされ、ひとつは火にかけるかして茶色い調味料になる。ソースがかかったごはんにお好みでふりかけて食べるのだが、味はきな粉。その他は食物が不足する季節のための保存食として保存される。水と混ぜて練ったりするらしいが、食べ方はよくわからない。

黄色い実には種があり、その種は中身が取り出され、
ネデノ種
ネデの種

一度水につけるのか、湯がくのかした後、更に葉に包まれて、2~3日置くと、調味料へと変貌する。発酵させているのかと思ったけどそうではないらしい。この辺あいまい。変貌の様子は下の上品でない4コママンガをどうぞ!
スンバラのじゅんび
ネデの種を葉に包む準備中

この準備をする間もちょっとつまんだりするとレンズ豆みたいでなかなか美味しいのだが、食べ過ぎるとお腹をくだすので要注意だ!

実も種も無駄なく食べるんだなぁなんて関心していたら、実はこの先がある。
実の固い皮。これは、なんと川で魚を捕る時に利用されるのだという。
この皮は人間にとっては無害だけれど、魚にとっては毒になるそうで、これを川に撒いて魚が死ぬか気絶かしているところを女性達が捕るそうだ。
捕った魚はもちろん今夜の夕飯になる。

木から摘まれたネデは女性の頭に載せられて家に運ばれ、中身が上手に取り出されて、皮だけがまた同じように女性の頭に載せられて今度は川にかえっていくのだ。

ネデすごいな。無駄ゼロ!そしてそれを知っているアフリカ人やっぱりすごい!
アフリカの人達は手間隙かけてもあまり無駄を出さない。なんとか使おうとする。これ、見失いそうになっている原点だと思う。今、日本人は楽で効率はいいかもしれないけれど、いろんなもの捨て過ぎなんだよな。ここに来るとそういったことが本当によく気付かされる。

アフリカで水を運ぶことも、杵をつくこともできなかった私は、ひたすらこのネデ剥きの仕事をもくもくとやっていた。
この時だけは私もおうちの役に立っていたようだ。

  マツ村09


category: マツ村!

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モノの話08 村の携帯事情 

 

ギニアの都心部では電気は一日に何時間とかしかこなかったが、
私の滞在していた村には電気がまず通ってなかった。
歯ブラシは存在したが、けっこうみんな木の枝を使っていた。
ご飯は炭で炊いていた。
おトイレに行けば、おしりは手で洗うし、
その水だって、いちいち井戸やポンプから汲み出して家に貯めてあるものだった。

でも不思議なことに、
みんな携帯電話を持っていた。

それは、セロテープでとめたりして、日本の携帯に比べると遥かにボロかったが、
若い人は特に、いつもいつも携帯電話をいじっていた。日本とあまり変わらない。
肝心な充電は、村に発電機を使った充電屋さんというのがあって、そこでいちいちお金を出してバッテリーや携帯を預け、何時間後かに取りに行くというしくみだった。

ギニアでもネットや通話を楽しむ?いや、その活躍ぶりはちょっと違う。
みんな携帯に音楽や動画を入れてそれをみんなで見たり、聴いたりするのがメインだ。
イヤホンはあまり使っていなかったように思う。
音楽や動画は携帯同士でタダでダウンロードできる。だから友達からもらうのだ。

携帯電話はウォークマンであり、シアターなのだ。

ある時他の村で祭りがあるかもしれないし、ないかもしれないけどどうするか、と言われた。
このたぐいのことはしょっちゅうで、何時間もかけて行ってもやっていなくて戻ってきたりする。
それで一日丸潰れなんて日常茶飯事だ。
「村の人に確認の電話してみたら?」というと、「電話番号知らない」という。
そのことだって本当にしょっちゅうで、この日ばかりはそれらが重なってちょっとキレてしまった。
「いっつも携帯いじってんのに、なんでこういう時携帯使わないのよ!連絡すればなんでもない話じゃん!」
すると、さらりと言われた。
「だってどうせ電波もないし、これは音楽とか聴くために持っている。」

もうそれを「フォン」と呼ぶな!

(あ、もちろんちゃんと電話として使っている人もいますよ!あしからず)

ママデイクラ
村の充電屋さん


ケイタイノハナシ




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みんな大好きトイレの話07 深いぜ、トイレ事情 

 

前年度のギニア旅日記を覚えていらっしゃるだろうか。
村のトイレは大と小がわかれていて、小はお風呂が兼用になっているようだという話だ。

順不同!思い出したところから旅日記!その3


今回、前回より長い滞在により、それは疑いのない常識であることがわかった。
おしっことお風呂は一緒。です。

そして、今回の収穫。
トイレを借りる時は、「大の場所」か「小の場所」かを相手に伝えるということだ。
村では大スペースと小スペースが必ずしも隣り合っているとは限らない。
印象としては、そこそこな確率で離れたところにある。だから、どちらかを相手に伝えないと、案内される場所がかわってくるのだ。
まぁ、知らなくてもいい。その時は聞かれるか、当たり障りない「大の場所」に案内される。

「大の場所」に行きたいと相手に言うのは、「これからうんこしてきます。」と今からする行為を告知するみたいでちょっと恥ずかしい。1度ならまだしも、続けざまに3度4度となると、「ちょっとお腹の調子が悪い」とか「食べ過ぎた」とか、言い訳がましくなる。ちゃんと「大」がでているのはいいことのはずなのに、「小」の時はまるで「大」否定するかのように「あ、大じゃくて小です」って言ってしまう。なんだ、その見栄!いつも思う、うんこに申し訳ない、感謝してるよ。

トイレは行くところ行くところ、どこにでもある訳ではない。あとはいわゆる「野ション」と「野ウン」その辺でするやつだ。
長距離のバスやタクシーに乗ると、トイレタイムはほぼこれだ。男も女も何の疑問も持たず、マイスポットを見つけに草むらに消えてゆく。スポットが被りそうになると、別の人が「そっちに女がいるよー!」とか叫んでくれたりもする。
突然のトイレタイムはたいがい水がない(むこうは通常おしりを水で洗う)ので、わたしはその辺の葉っぱを虫がついてないか確認してから慎重にむしって使用していた。でもうっかりすると、手の伸ばせる範囲に超小ぶりの葉っぱしかないなんて事態もあって、いや~ホント、トイレの話って尽きない。

のうん

アフリカ人の多くか・・・ホントかなぁ。

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ギニア人の話06 よく働く子供となにもできない大人 

 

村で食べたごはんは、毎日15歳の少女が作ってくれた。
川で水浴び(私のお風呂)していると9歳位の男の子が2歳~7歳位のちびっこを引き連れて川に網を仕掛け、魚をとっていた。
その魚の内蔵をとって、洗っていたのは7歳の女の子だった。
2歳になったかならない位の女の子だって、ばしゃばしゃとこぼしながらも小さなバケツに水を汲んで、一人でおうちに運んでいた。

私は正確に彼らが何歳かわからないけれど、村の子供達は小さい頃から働くことが当然として育てられていて、生きる強さや知恵を身につけるのが本当に早いように感じる。
学校に行っている子も、学校に行く前や、学校から帰ってくると家の手伝いをする。
通りかかった家の手伝いまでしている。
私のいた村は金銭的に貧しい人が多いというのもあるだろうが、
生きていくイコール働く、というシンプルな構図を子供たちも体で覚え、大人がやれ、と言ったことにはちゃんと従い、自らも進んで人を助ける。お手伝いすることはえらいのではなく、当たり前なのだ。
村の大人達は子供達の未熟さを、壊れないように守るのではなく、強く、早く大人にするように見守っている。だから子供達はけっこう傷だらけだがへこたれず、甘えん坊はたくさんいるが、自分はまだ子供だということに甘える子供は少ない。


そんな子供達はりりしく、まだ小学生にもならない位の子が赤ちゃんを背負って働く姿を見ていると、30いくつにもなって、何にもできないくせに大人のつもりでいる自分が、よーくよーく見えてしまうのでした。

ヌーハン
フランス語の挨拶「サバ?」「サバビエン!」を覚えて、いつもいつも言いたがったヌーハン

サカラサラン
この歳で、お母さんの妹が嫁いだ先にお手伝いとして家族を離れひとりで働きにでたサラン

マンジェベベ
ちゃんと手を洗って、ひとりで食べる。

コロン
見た目より、ずっと難しい。それでもこの子達は小さい頃からやってるから、なんとも上手にやる。

サランバゲ
ドゥンドゥンバのダンサーでもあるサランバ。超おてんば娘の大食漢で男勝り。魚とりも上手で、おっきな魚をとってきて食べさせてくれた。

こども








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